看板の歴史
日本における看板の歴史はとても古いものです。今から、1300ほど前にはもう実在していました。その頃の看板は当時の法律、「大宝律令」(701年)で「都で毎月開く市には、商品を標識で示すこと」と言った内容の記述を見ることできます。「大宝律令」とは飛鳥時代の701(大宝1)年に制定された律令政治の基本法です。文武(もんむ)天皇の命令で、刑部親王、藤原不比等らが唐(中国)の法律を参考にしながら、日本の実情に合うように編集した物です。律6巻、令11刊です。
日本で残っている一番古い看板は、お菓子屋さん「虎屋文庫蔵」の御饅頭所の衝立看板と言われています。時代では鎌倉時代です。その頃から、お店で扱っているサービスをわかりやすく表現した絵尼のような看板が登場しました。つまりは、現代の「イラスト看板」でしょう。
寛文年間(1661年~1672年)頃から文字看板が登場し盛んになりました。その頃は、篆刻と版木、看板師が一緒でしたが、江戸末期頃から分化し専門化していきました。印鑑や版木は凸に彫っていたのに対し、看板の文字は凹に彫っていました。この頃になると、洒落や語呂合わせなどの言葉遊びを生かした看板や、「看板娘」、「看板を降ろす」などの現代にも使われている言葉も多く生まれました。
ちなみに看板彫刻の技法は「薬研(やげん)彫り」といって、文字自体をV字型に彫るのが主技法です。「薬研」の語源は、漢方薬などを粉にする舟形の器の形状からきています。
うどんの看板
うどんの始まりは、奈良時代と言われています。中国からわたってきた唐菓子と呼ばれた物がうどんの元祖らしいです。小麦粉を団子の中に、何かを入れて煮たもの、丸くころころしていることから「混どん」と呼ばれて、それを暑く煮て食べるため「温どん」となり、その「おんどん」がなまって、「うんどん」になり「うどん」になったと言われています。嘘か本当かはわかりません。
それはさておき、この頃のうどんの看板は右のイラストのようだったと言われています。正月に揚げるたこを思い出すような形ですね。うどん屋、そば屋の看板は日本も中国も共通するところがあり、どちらも板切れに、細く切った紙の房を下げているといった点です。おそらくですが、下の細く切った紙の房が麺をイメージしているのではないでしょうか。
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Last update:2023/11/28